不快な絵



――勿論、不快を意識しないもののすべては、何をも変えることも、そしてまた、創ることもできません。
(埴谷雄高『死霊』九章)




岡本太郎の有名な著作『今日の芸術』におけるこれまたとっても有名な宣言、

  今日の芸術は、
  うまくあってはいけない。
  きれいであってはならない。
  ここちよくあってはならない。


の「うまくあってはいけない」「きれいであってはならない」と、最後の「ここちよくあってはならない」は、微妙にその位相を異にする。
 「うまい」も「きれい」も「ここちよい」もどれも作品を見る鑑賞者が想起する感想&心情ではあるものの、「うまい」と「きれい」が作品を見るものが抱く主観的な感情を表すコトバであるのと同時に、どちらかといえば見られる側、すなわちこの場合芸術作品の側に属する要素として認識される向きが強いのに対して、逆に「ここちよい」というコトバは、見る側の内的感情に重点を置いた「主観的な感情」としての側面をより強く想起させる。文法的に見ても、一人の鑑賞者が一枚の絵と対峙したときに、「うまい/きれい/ここちよい」がどれも見られる側である客体、つまり絵にかかる述語として機能する(:「この絵はうまい/この絵はきれい/この絵はここちよい」)のに対して、見る側の主体である「私」の述語として機能し得るのは、最後の「ここちよい」だけなのである(:「私はここちよい」)。
 「うまい/きれい」は見られる側である芸術作品の内包する技術的・表層的ないわばプラグマティックな問題であり、客観的な評価である。それに対し「ここちよい」はむしろ鑑賞者の心身の状態を表すコトバであり、見る側の感性にこそその判断が任せられている。つまりそれは受け取る側、すなわち絵を見る側の人間にとっても「自分自身の問題」として無関係ではあり得ないということである。
 そのことを考えるとき、上の宣言文における「ここちよくあってはならない」は、むしろ絵を見る側を戒めるコトバとして響いてくる。そして、それだからこそ、この宣言においてもっとも大きな意味を持っているのは、最後の「ここちよくあってはならない」であると自分は考える。

 この宣言を単純に描き手のみに向けられたものとして読む場合、それは「うまく/きれいに/ここちよく描くな(描こうとするな)」という描き手に向けた訓示となる。実際多くの若き芸術家がこのコトバに鼓舞されて新しい芸術の担い手となっていったことは衆目の知る事実として既に歴史化されている。
 しかし『今日の芸術』は限られた制作者だけに向けられたハウツー本ではない。それは芸術を見る人間、今を生きるすべての人間に向けられた啓蒙の書である。この宣言も人々が芸術作品に対して抱いている「うまい/きれい/ここちよい」という常識を覆してみせるため、制作者だけではなく絵を見る側をも含めたすべての人々に対して向けられたものなのである。
 もちろんこの宣言に続く章のタイトルが「絵はすべての人の創るもの」であることからも明らかなように、岡本は新しい芸術の制作者と鑑賞者を単純に「作る側/見る側」として区分してはいない。「見ることは、創ることでもある」のであって「芸術創造と鑑賞というものはかならずしも別のことがらではない」と明確に言い切る岡本が、その宣言のなかで「作る側」と「見る側」の立場を巧みに混合させていたとしても、ちっとも不思議ではないのだ。

 芸術の価値判断における「うまい/きれい/ここちよい」という固定観念を覆さなければならない理由は、それが理解の範疇にある「型」であるためである。既成の「型」は見るものが安心して理解し消費できてしまうため、岡本が求めるような精神を積極的に高めるような創造的行為には結び付かない。岡本の言うところの、直観力を鈍らせる無用な「垢」である。芸術の価値をそこに求め続ける限り、それは永遠に愛玩、趣味、教養、デコレーション、ヒマツブシの域を出ず、「すべての人間にとって必要不可欠なもの」にはなり得ない。
 すなわち禁じられるべきは「ここちよくある」という安寧な現状肯定の受動的な姿勢であり、求められるべきは不要な固定観念を捨て、ものを自分の魂で直接とらえることだ。岡本の試みは「うまい/きれい/ここちよい」という絵を見るものにとって拭いがたく刷り込まれた常識としての価値基準を覆してみせ、見るものが自分自身として作品と正面切って向き合うことをこそ意図している。
 そしてそのとき「ここちよくあってはならない」という戒めのコトバは、「絵を見ること」の持つ根源的な意味にまで迫り得る重要な鍵として光を帯びてくる。

 ただ惜しむらくは岡本が「見ること」の創造性の強調から一足飛びで「すべてのひとが描かなければならない」とすぐさま実制作の方へと人々を導こうとしたことによって、結果的に芸術がすべてのひとにとって必要不可欠な「生きることそのもの」であるという主張が薄れてしまったように感じることだ。せっかくの「見ることは、創ることでもある」「芸術創造と鑑賞というものはかならずしも別のことがらではない」という真言も、それによって鑑賞から実制作へと導くためのロジックへと退行して聞こえてしまう。芸術がすべての人にとって必要な理由が「すべてのひとが描かなければならない」からであるならば、それは芸術の重要性を制作者の側のほうへと置く旧来の理論となんら変わりはない。むしろ見るという行為の創造性を強調することで、「鑑賞者自身」の手に芸術の必要性を手渡すことのほうが、実地的な芸術制作へと人々を向かわせることよりも遥かに重要だと思われる。見ることが創ることでもあり、芸術創造と鑑賞というものが必ずしも別のことがらではないのならば、必ずしもすべての人がプラクティカルな創造行為へと向かう必要はないからだ。

 時代の影響もあるのだろう。本書における岡本の理論には前衛芸術が大衆を啓蒙し進歩させるという芸術に対する進歩主義的な観念が見え隠れする。「ここちよくない」理由を、進歩的な芸術作品や芸術家が時代の先へと進んでいるのに比して、見るもの(大衆)がそれに「追いついていない」がために「ここちよくない」と感じるのだとする記述も見られる。前衛的な芸術や芸術家が時代の先へと進んでおり、見るものがそれに「遅れている」ためにそれを理解できずに不快に感じるのだという考え方は、確かにかつては「難解」で「ここちよくない」ものであった前衛芸術が時代を経ることによって多くの人々に容易に理解され愛玩されてしまうという歴史的にままある事態を的確に説明しているようにも思われるが、時代の流れを直線的に「先/後」で捉え、芸術に対峙したとき得られる感銘を「追いつく」と単純に表現してしまうことは、芸術の、あるいは「芸術を見ること」の創造的な意味合いを、一気に狭窄してしまう。

 本書におけるもっとも重要な提言は、芸術における「創造」の最前線を制作の現場であるアトリエや制作者の「頭の中」から、見るものと作品が対峙するその現場へと移動させたことにこそある。ここちよく消費される既成の「型」にいかに近付くか、その競争ではなく、見るものが未知のものと出会ったときの衝撃と葛藤にこそ「創造」の本質を求める姿勢は、「愛玩するもの」でしかなかった「芸術」を一気にすべての人の「生」へと近付け、生きていくことに必要不可欠なものにまで昇華させる。そこでは一枚の絵を見ることによって得られる体験が、「生きること」と同意にすらなり得る。
 そして、その契機となるのが「ここちよくあってはならない」なのだ。


●なぜ「不快な絵を描け」ではないのか?

 「うまくあってはいけない/きれいであってはならない/ここちよくあってはならない」について、美術評論家の椹木野衣はその著書『黒い太陽と赤いカニ』のなかで、この有名な宣言がしばしば読み間違えられるように単純に「下手な絵、汚い絵、醜い絵を描け」と言っているのではなく、重要なのは「いけない/ならない/ならない」という後の否定のほうにあると指摘している。椹木は岡本が「バタイユ的な意味でのヘーゲル主義者」であり続けたことに依拠しその否定の作用について読み解いているのだけれども、図らずしも「ここちよくあってはならない」に対比させたコトバが「醜い絵を描け」であったことに端的に表れているように、椹木の読みもまたこの宣言が「描き手」へと向けられたものとして捉える立場より為されている。
 一般的に考えるならば「ここちよい」の対義語は「醜い」よりは「不快」が適当である。しかし岡本自身も『今日の芸術』のなかにおいて「不快」というコトバはあまり使用していない。むしろそれに対応するコトバとして「いやったらしい」を重要なキーワードとして提示している。「いやったらしい」はそのニュアンスにおいて既成の価値基準を覆した新しい芸術の美感を表現するコトバとして絶妙な表現だと思うが、しかしそれはむしろ「不快」よりも「醜い」のほうに近く、見られる側である絵の様相についてはよく説明するものの、見る側の主体性までは表し得ないコトバでもある。

 たとえこの宣言が制作者だけに向けられたものだったとしても、岡本が単刀直入に「下手で、汚い、不快な絵を描け」と説くことはあり得なかっただろう。それは「下手/汚い/不快」が「うまい/きれい/ここちよい」とまったく同じように、見るものの理解と知識と教養の範囲内にある「型」に過ぎないからである。
 岡本は芸術の存在理由を、既成の知識や教養だけで安易に理解できてしまう安心感ではなく、自分の理解を超えたところにあるものに対して見るものが「創造するような心組みでぶつかって」いくその困難性と超克にこそ見出している。「うまい/きれい/ここちよい」はその衝突や摩擦を磨耗させる安直要因であり、それと同じくヘタクソに描くことも、汚く描くことも、あるいは人を不快にさせることも、それらはすべて制作者の側から見れば容易な作業であり、あるいは見る側からしても容易に「理解」可能なものであり、岡本が説くような見るものと作品との間に繰り広げられる息詰まるほどの対決の構図が、そこに生じるはずもないのである。それはベクトルの向きが逆なだけであり、単に「下手/汚い/不快」という既存の「型」に安寧におさまっているに過ぎないのだ。

 そして、その中でも「不快」は突出して、安直な方法によって生成可能なものである。「うまい絵/きれいな絵/ここちよい絵」を、いや「下手な絵/汚い絵」にしたところでそれらを描くためには、それなりの技量や習練は必要となる。あるいは「うまい/きれい/ここちよい/下手/汚い」は、たとえそれが既存の「型」であっても、その「型」のなかにおいては多少の質的な上下と横幅は持ち得る。
 それに対して「不快」は、極めてステレオタイプで幅の狭い方法によって容易に生じさせることが出来る。以前音楽雑誌のインタビューで映像感覚にも優れたあるロック・ミュージシャンが「視聴者にただ衝撃を与えるためだけにPVを作るのであれば、カメラの前でうんこをもりもりひり出している場面を見せればいい(しかしそんなことをやっても意味がない)」といった発言をしていたことを今思い出したが、見るものに生理的・道徳的な不快感を与える「だけ」であるならば、極めて稚拙かつ類型的な方法で見るものの生理的嫌悪や道徳的嫌悪を誘ってやれば事足りる。生理的・道徳的タブーを破ることには常に心理的な抵抗感や法的な制裁などが付きまとうため、低劣なレベルにおいてはそれが「困難なこと」のように思われることも多い。しかし逆に言えばそれがタブーたり得ている仕組みはごくシンプルであり、それは一度破ってしまえばたやすく理解され、そして消費されてしまうものである。画面に排泄物を塗りたくる、人を殺してその場面を撮影する、基本的人権など社会的なタブーを愚弄してみせる、それらの表現は確かにその時点では「タブーを破っている」というただ一点のみにおいて見るものに脊髄反射的に不快感を与えるかもしれない。しかしそれは「慣れ」と「理解」によってたやすく消費される。安直に創出されたステレオタイプな「不快」は、何も生まぬままに「理解」され、蕩尽される運命にある。つまり安易なのだ。

 しかし「不快」はまた「醜い/いやったらしい」と異なり、その主語を見られる側である絵にだけでなく、見る側である鑑賞者のほうにも置くコトバでもある。
 芸術の根幹を示すコトバとしての「うまくあってはいけない/きれいであってはならない/ここちよくあってはならない」という岡本の宣言において、「うまい/きれい」が「ここちよさ」へと導くプラグマティックな要素として排斥されるのであれば、「ここちよくあってはならない」は、鑑賞者の主体性を問われない安寧な態度を廃して、絵を見ることを「創造的な体験」にまで昇華させ得るもっとも重要な提言であるとして捉えることが出来る。そしてそのとき絵を見る側の主体性のもとに行われるその「創造的な体験」の起動を的確に示す表現として、「不快」の一語が適当であることもまた真なのである。
 そこで必要となることは、なによりもまず既存の脊髄反射のみに頼った非創造的不快から、「創造的な体験」の起動となるべき「不快」を奪取することである。さすればはじめて、岡本が『今日の芸術』において垣間見せた創造的体験としての「絵を見る」という行為の持つその根源的な意味へと、我々は限りなく近付くことができるだろう。

 安直ではない、つまり容易には消費され得ぬ「不快」。
 果たしてそれはどのようなものか?


●起動力としての「不快」

 まずは「不快」の対立概念としての「ここちよい」から考えてみよう。「ここちよい絵」はなぜ「ここちよい」のか?
 それは穏やかな色彩が目に優しいからでも、楽しげなモチーフが微笑を誘うからでも、はたまた画家の職人的な仕上げが調度として映えるからでも、どれでもない。それが「ここちよい」のは、ひとえに「私」に対してなんの脅威も与えないからである。「ここちよい絵」は常に「私」に対してはなんの影響を与え得ない領域に位置する。あるいは「私」の存在を、理性を、思想を、アイデンティティを無前提に肯定してくれる。つまり「安全」であり、「無害」なのである。
 岡本は既存の知識や教養による安易な理解や安心を「創造的な体験」を阻害するものとして排斥したが、手持ちの知識や教養で「理解」できてしまうものはなんら「私」の存在を揺さぶりはしないのである。安直に理解できるものは安直に理解できるがゆえに「安心」できて、そして「ここちよい」。「理解」は心の安寧なのである。それが容易く手に入るのならば、「私」は些かも揺らぐことはない。

 しかし絵を見るという体験の主体を「見る側」へと置いたとき、当然そこでは見る主体である「私」は無関係ではいられない。それは「私」の体験であり、「私」の問題でなればならないのだ。「私」が主体となるためには、「私」はそこで脅威にこそ曝されなければならない。「私」という存在自体が揺さぶられなければならない。それこそが芸術体験における「衝突」であり、その起動なくしては何も始まらないのである。
 逆に言えば「私」を無視したままでは、絵を見るという体験において見る側は永遠に主体にはなり得ない。そこではただただ作り手から与えられるものを一方的に甘受するだけである。もちろんそれは「創造的な体験」からは遥か遠い。

 「ここちよくない」絵、すなわち「不快な絵」は、「私」という存在を揺さぶる。それは常に「理解できないもの」として我々の前に立ちはだかる。そして「私」を安全な場所から「当事者」の位置へと引きずり込む。
 つまりそれは「理解」の範疇を圧倒的に超越した場所でこそ起こる。安直な「理解」に収斂できないことによって、知識は、理性は、アインデティティは揺らぎの危機に直面する。
 同時にそれは決して「私」とは無関係には起こり得ない。「理解できない=自分とは関係を持たない」と容易に切り捨てられぬもの、どこまでも執拗に「理解」することを求め続けられるもの、「理解」できないことによって「私」の存在そのものが揺らいでしまうもの、それこそが真の、そして最大の「不快」である。

 「私」を揺さぶる「理解」の範疇を超えたもの。激しく「理解」を求めつつも、安直な解釈では解決できぬもの。それは何か?

 ひとつは「私」という存在そのものである。
 人間にとって「私」は永遠の興味の対象であり、そして永遠の謎でもある。「私とは何か?」という答えの出ない問いに向き合うため、あるいは向き合うことを避けるため、あるいは解を出し続けるため、あるいはいまここにある解を墨守するため、人は生きるのかもしれない。「私」という存在が他ならぬ「私」としていまここに在るというその事実は、「私」という存在そのものを揺るがす。人は日常生活においてそのことに深く思いを馳せることを無意識に避けているが、一枚の絵に対峙することで、他ならぬ「私」という存在そのものを問い直される事態に直面することだってあり得る。
 例えば同じ絵を見るにしても、人生を変えられてしまうほどの衝撃を受ける人もいれば、何も感じないまま通り過ぎる人もいる。それが単純な感受性の度合いや趣味性の差異を超えたレベルで生じるとき、その差はそこで「私」に直面しているかいないかの差異に他ならない。つまりその絵の中に「私」となんらかの繋がり得るものを見出すかどうかで、「私」の反応もまた左右されるのだ。
 逆に言えばそれがまったく「理解」の範疇の外にあったとしても、そこから「創造的な体験」に繋がるなんらかの衝動を受け得たとき、人は「私」のなかにあるナニカを客体である作品のなかにもまた見出していると言える。「私」のなかのナニカが自分にも理解できない客体として目の前に現れたとき、見るものは当然混乱する。そして窮極的には「私」という存在そのものを問い直すことを強いられる。それは「不快」である。

 あるいは、ひとつは「この世界」である。
 「私」という存在の認識と「私」が生きる「この世界」への認識は、重なり合う。それは存在の絶対的な認識と相対的な認識の差である。「この世界」への認識は「私」という存在の「居場所」を明らかにする。
 故に我々は常に自分の生きる「この世界」に対するなんらかの「解釈」を必要としている。自分がいま生きている時代を、社会を、世界を、宇宙を明確にしてくれるワカリヤスイ分析は、決してその需要を切らすことはない。様々な学問が、思想が、政治が、宗教が、「この世界」のおぼろな輪郭をクリアーにし、そのカオスな位相に三次元的な指標や二次元的な解釈を付与して、人々の心に安寧を与えてきた。
 それは「私」という存在の「居場所」を確認し、揺らぎの危機から守るためにも欠かさざるべき処置なのだろう。日常生活を差し障りなく送るための人間の知恵であり本能であるともに、そのことが人間の「進歩」を促してきたのかもしれない。
 しかし場合によっては、それが応急的な「理解」による弛緩や麻痺によって解決されていることもあるだろう。なぜならば我々は「この世界」についても、「私」という存在そのものと同じく、決して極限まで「理解」し切ってしまうことはあり得ないからだ。「この世界」に対する認識は、そこに絶対普遍の解などはなく、常に暫定的な「理解」の上にのみ存在しているフラジャイルなものなのである。
 だから「この世界」に対する空間的な、歴史的な、存在的な認識が揺らぐとき、人は「私」の拠って立つ足場を見失い、「不快」を覚える。

 さらに、ひとつは「無限」である。
 無限は人の理解の埒外にあり、また理解の範疇にあるものはすべてその意味において有限であるとも言える。そして「無限」の淵を覗き込む感覚は、「私」という存在や、「この世界」が拠って立つべき基盤が、揺らぎ崩れる感覚とよく似ている。それは「無限」の存在自体が、「私」や「この世界」の存在に対する認識を揺らがす危険を孕んでいるのと同時に、「私」や「この世界」の存在を問う問いが、それが永遠にただ一つの解へと辿り着けないその無限性故に人を「不快」にすることにも、また因っているのかもしれない。
 芸術における「創造的な体験」は単一の「理解」や「意味」には収斂されない。それは無数に存在する。見られる客体と見る主体の無数の掛け合わせによって、そこで生まれるものもまた無限となる。同じ人間が同じ絵を見る場合でも、あるときは激しく衝撃を受けるが、またあるときはそこから何も感じ得ないときもある。「創造的な体験」は常に同じ解を導き出すとは限らない。「私」が変動的であるが故に、見る側の主体の変動によって作品から受けるイメージもまた異なってくるのだ。つまりただ一人の見る主体である「私」にとっても、ただ一枚の絵から受け取るイメージの可能性は、無限に在り得る。
 その無限の拡がりと可能性を、見るものは作品のうちより感じ取るときがある。「無限」に触れる気配、それはしばしば「私」という存在を、あるいは「この世界」に対する明確な認識を、揺るがし、見るものを「不快」にさせる。

 そして、それらを真の「不快」として捉えるためには、想像力による導きが常に必要となる。想像力の伴わない「不快」は、創造的体験を生み出す起動力たり得ない。それは単なる脊髄反射だ。

 日本近代文学史上もっとも巨大な「不快」は、岡本太郎とも<夜の会>などを通じて親交のあった文学者、埴谷雄高の巨編『死霊』に登場する「自同律の不快」だろう。本稿における「不快」への考察も、『死霊』の読書体験から示唆されたものに、その多くを依っている。
 「自同律」とは哲学用語で「A=Aである」という原理のことであるという。『死霊』において「自同律の不快」を抱くのは主人公三輪与志である。与志は「俺は……」と呟いたあと「俺である」と言い切ることが「不快」であり、出来ない。Aが非AではなくAでしかないように、「俺」が「俺」という存在であることに対する「不快」から、最終的に彼が目指すのは「虚体」へとなることである。それが『死霊』の主題であり、核となるストーリーだ。
 ちなみに「虚体」とは、それが実現されるとき今までの誤謬の宇宙史から脱却したまったく新しい未出現宇宙すら生まれ得るという壮大な概念であり、並大抵の思考力や想像力では到底追い付けない極限の思考である。正直自分がその末尾すら見えているのかどうか甚だ自信がないと白状しないわけにはいかぬのだけれど、与志が「虚体」へと向かうその出発点に「不快」があるというその事実に、あたかもそれが天啓であるかのごとく引かれてしまう。
 それは存在を、世界を、宇宙を、無限をも変えてしまう究極的な「不快」である。埴谷の無限大の想像力のもとでは、「不快」は無限大の可能性をひらく起動力として機能するのだ。


●岡本太郎の絵の「不快」

 再び岡本太郎に戻ろう。では「ここちよくあってはならない」と説いた当の岡本太郎の絵を「不快」をキーワードに読み解くとどうなるか?

 原色を多用したその色彩をして「色オンチ」と揶揄されたという有名な逸話が示すように、『今日の芸術』が上梓された1950年代、岡本太郎の絵を「不快」と感じるものはまだ多かったのだろう。そしてそれは岡本の言うような時代に対する「先進性」とともに、「色オンチ」が象徴するように「うまい/きれい」を回避するためのプラグマティックな技術もまた寄与していたのだろう。
 しかし技術とは、あるいは時代に対する「先進性」とは、得てして時の流れとともとにその有効性を失墜させていくものである。『今日の芸術』のなかで岡本は、かつてはいやったらしさを感じさせたゴッホの絵が、時代の推移と共にすっかり優美で心地よく、ほほえましくさえなってしまったと書いている。そのような現象は見る側が一種の慣れで「ゴッホ的」という「型」でゴッホを見るようになったことにより生じるのだと岡本は説明するが、それは決して岡本自身も逃れえた運命ではなかったのだろう。当時でこそ「色オンチ」と揶揄されたというその色彩も、そこに描かれた当時の前衛の最先端だった抽象と具象を併せ持った形態も、今日ではスッカリ「岡本太郎的」な色使いやキャラクターとして、多くの人々に歓迎され、慣れ親しまれている。
 ゴッホに対する「理解」が、「ゴッホ的」であるというその作風の「型」とともに、「耳を切った」「猟銃による自殺」など彼の生涯におけるセンセーショナルな逸話から作り出された画家自身のキャラクターイメージの「型」に収斂されている点においてもまた、岡本の絵の「不快」が消費されていく過程は酷似している。岡本の絵に「不快」を感じずに容易く「理解」して消費してしまうものは、「岡本太郎的」な型に嵌った作風と、ある意味作風以上に有名になった彼のキャラクターイメージに彼の作品を収斂させて「安心」を得る。「ああ、耳を切った人だけあって荒々しい筆触ね」「バクハツの人だけあってニギヤカな色彩だね」と彼らの絵を作者の通俗的なイメージに還元して「理解」し、その地点で立ち止まってしまうものは、永遠に「不快」を基点とする創造的な芸術体験とは無縁であろう。そしてそれは当の絵と絵描きにとっても、時代の推移と画家の名の大衆化によって、避けられぬ運命であるのだ。

 岡本太郎の画歴を俯瞰するとき、その画風の変遷が1960年代あたりで行き止まることに気付く。それ以降彼の絵画はむしろ積極的に「岡本太郎的」な「型」を繰り返しているようにも見える。そのことを「自己模倣」と批判し、「画家としての岡本太郎」は1950年代半ばあたりまでしか評価できないという見方もある。
 疑問なのは「型」で作品を「理解」してしまうことが、本来芸術のあるべき姿から限りなく遠ざけていくことを説いた岡本が、なぜ「金太郎飴」とも揶揄されるように「岡本太郎的」なイメージを再生産し続けたのか、だ。色彩もモチーフも筆触も既存の「岡本太郎的」イメージを打ち壊そうとはせずに、生涯反復し続けたのは何故か?
 その生前から「人気者」であり、作者のイメージがその作風以上に流布していたと思われる岡本にとって、おそらく見るものが既存の流布した作者のイメージからは逃れ得ないということは、その身を持って知り抜いていた事実に違いない。ゴッホが時代の推移と共に「ゴッホ的」なものとして「不快」ではなくなってしまったのと同じように、自分の絵もまた「岡本太郎的」なものとして「愛玩」されてしまうことが不可避であることを、『今日の芸術』の作者である岡本が知らなかったはずはない。
 にも関わらず60年代以降その活動範囲を飛躍的にマルチ化していった岡本は、自らその人口に膾炙するキャラクターイメージを積極的に作り上げ、強固にしていったように見える。それは何故か?

 ここからは推論となるのだが、もしかたら岡本はそれらのことはすべて承知の上で、敢えて「岡本太郎」のほうを個々の作品を押し退けてしまうほどに巨大化させていったのではないだろうか? つまり見る側にとって「岡本太郎」を通さずに作品を見ることが不可能になるのであれば、その「岡本太郎」のほうを人知の理解の及ばぬ領域まで拡大、上昇させてしまえばよいという理屈である。絵を見るものがどうしても「型」を想起し、それに囚われてしまうのであれば、その「型」自体を安易に消費され得ぬ「不快」な領域にまで持っていってしまえばよい。岡本はそう考えその多角度的な活動と「岡本太郎」の強化に力を入れたのではないだろうか? 実際岡本の作品は≪太陽の塔≫や≪明日の神話≫など、その背後に聳える個人としての「岡本太郎」のスケールが大きければ大きいほど、作品自体から与える感銘もまた大きくなるのである。絵を見るものがそこから「岡本太郎」しか感じられないのならば、その「岡本太郎」のスケールを見るものの「理解」を遥かに上回る規模へと巨大化・拡散化し、「壁」として、あるいは「謎」として、そこに立ちはだかって見るものを撥ね返してしまえばいい。「岡本太郎」にぶちあたった鑑賞者が、撥ね返された「私」を受け止め、その存在自体に対して目を見開いたとき、その「鑑賞」は岡本が説いた自分自身の生そのものを掴み取るような、見るものが主体となった「創造的な体験」へと昇華されるのであろう。

 だから岡本が「岡本太郎になればいい」と挑発的に言うとき、「よーしワタシもタローさんをミナラッテ頑張るゾー、ビーッタローッッ!」と栄養ドリンク剤的に「岡本太郎」を消費してしまうことは、おそらく岡本の意図するところからはもっとも遠い。「岡本太郎になればよい」とのコトバを投げ付けられたとき、我々はそこに「不快」をこそ感じなければならない。もちろんそれは岡本の不遜さに対する「不快」などではない。岡本が一抹の疑念も挟まずに堂々と「岡本太郎」を誇って「岡本太郎になればいい」と言うとき、我々はそこで「私」自身に向き合うことをこそ求められているのだ。我々は「私」自身の存在と向き合わせられ、それを思い知らねばならない。そしてそこにこそ拭い難い「不快」をこそ感じ取らねばならない。その「不快」を感じ取れぬ「私」は、何かを変えることも、あるいは創造することも、ついぞあり得ないだろう。決して「ここちよくあってはならない」のだ。

 ただし以上の推論には一つ大きな齟齬がある。それはたとえ岡本が「岡本太郎」を、彼の絵からそのイメージを読み取るものが「不快」を感じ得るまで巨大化させることに成功させたのだとしても、それを「創造的な体験」として体感できるのは、やはり彼の作品の前に立ったときだけであるというその事実だ。「岡本太郎神話」は栄養ドリンク剤の代わりにはなっても、そこから生きることそのものにも繋がる「創造的な体験」には繋がりはしない。岡本が生涯をかけて巨大化させた「岡本太郎」と向き合うためには、我々はやはり彼の残した作品の前に立つしかないのだ。たとえ「不快」を感じさせる要因が「岡本太郎」の巨大さにあるとしても、その「不快」は逸話の中でも神話の中でもなく、唯一彼の作品と共にのみあり得るのだ。
 俺はそこに、岡本が『今日の芸術』を上梓してから半世紀以上を経た現在もまだ、一枚の絵と向き合うという「創造的な体験」が、汲み尽くせぬ謎を伴いながら、まったくその意味を失っていないことを確認する。



「不快」をキーワードに、いましばらく考察を続けてみようと思っている。





参考文献

岡本太郎『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』光文社文庫
埴谷雄高『死霊T』『死霊U』『死霊V』講談社文芸文庫

椹木野衣『黒い太陽と赤いカニ―岡本太郎の日本』中央公論新社
『埴谷雄高・独白「死霊」の世界』日本放送出版協会
池田晶子『オン!−埴谷雄高との形而上対話−』講談社
川西政明『謎解き「死霊」論』河出書房新社
鶴見俊輔『埴谷雄高』講談社

(2008/1/1 upload)

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